たしかに、6年前ここにいたはず。
6年前の秋、一度しか会ったことのない高嶺さんから、「明日から来れへんかな?」と
電話がかかってきて、すぐに「行きます」と答えた。
次の日京都駅の郵便局に出向くと、坂根さんから貰ったというおっさんみたいな車に
乗った高嶺さんは見事なペーパードライバーで、助手席に乗りながら、雨も降って
いないのに全快で動作しているワイパーをぼーっと見ながら、この先どうなってしまうん
だろうと感じたのを覚えている。想像以上に山奥へ山奥へと連れて行かれて、確か僕は
4日ほどの滞在し洞窟に入り、小屋を建て、屋根にとたんを貼り、飯を作り、川で食器を洗い、
熊に遭遇し、突然の雨にうたれ、酔っぱらったアーティストの話を聞き、夜を明かした。
あの時、「なぜこんな山奥に作品を作らないといけないんですか?」と、最後の最後まで
聞けなかったけど、6年ぶりに訪れたマンガン記念館に出来上がった空間を見ながら
やっと解った気がした。終わらない歌を奏でた作品なんだろう。
あの日の夜の、ナジャの踊りは本当に奇麗だった。